ある日街中を歩いていると・・・

宇宙の真理

​​​​​ある日街中を歩いていると、古本屋さんの店先に山積みに置かれていた戦前の教科書。ふと目に止まり、思わず手に取ってパラパラとめくってみました・・・。​  私が手に取ったのは大正12年発行『新訂中等修身教科書』第四巻 服部宇之吉 著。 今で言う道徳教科書のようです。 良い教えがたくさん載っていて、とても興味深く思い、同じく積んであった同時期の教科書まとめて4冊を思わず衝動買い。わずか100円玉数枚で入手出来たのは、とてもラッキーな事だったと今になって知ることとなりました。  そんなわけで、戦前教科書を​​​テーマに教科書のあれこれと感想を書いていきたいと思います。​

大正12年発行『新訂中等修身教科書』第四巻 服部宇之吉著
​第三課 『偉大なる自己』​​

自己とは何ぞ
自己とは必ずしも自己の身体に限られた事をいうのではない。各自の経験、教育、修養等によって、自覚が進むに従い、自己の内容も亦拡張していくものである。最も小さな自己とは、己の容易き事のみに安住し、食欲のみに満足する者の事を言う。少なくとも教養ある者はその様な低級な自己に留まる事なく、少なくとも家族みんなの幸福を願い、家族の幸不幸が自身の幸不幸と捉えよ。そのように人間は自覚が家族大に広がるに従い、言い換えれば、真の自己も家族の中に発見すると言える。

自己の拡張
この自覚が更に一歩進むと、その自己は家族内に留まる事なく社会的に拡張していくものである。社会には大小広狭種々有るが、各人の自己の拡張の範囲にも無数の差があると言える。近隣、又は一町内の利害を以て直ちに自己の利害となす者があり、或いは一地方の幸不幸を以て自己の幸不幸となす者があり、或いは、国家の盛衰隆替を以て自己の責任となす者有り。これらはそれぞれその自己が地方大に国家大に更には人類大に拡張されたのであり、身を殺して国家又は人類の為に尽くす者は、国家、又は人類の中に真の大いなる自己を発見するのである。

時間の上より見る自己
之を時間の上より見るとする。低級な人は僅かに眼前の怪苦を思うのみであるが、教育ある者は過去を回想し未来を待ち望み、その自己は過去及び未来にまで拡張していくのである。この様な人間は現代社会の幸福を願うのみではなく、遠く離れた祖先の遺業を思い、遥かな後世子孫の幸福を願うに至るのである。このような境地に立つ者は、正に宇宙大となり克つ永遠的なる自己を発見するのである。そしてその様な者こそ真に偉大なる人格者と言うことが出来る。仮にも志を高くしようとする若者は、単に我が身のみの小さな利害にこだわる事なく、一時的な快苦に悩まされる事なく、すべからく偉大なる人格者となることを心に深く留め、目指すべきである
 【現代語訳・ねこ丸】

巻​4というのは中学四年生。今で言う高校一年生にあたります。15~16歳ですね!
文科省HP学校制度の変遷↓によると、未来の指導者になるようなエリートさん達だったと思われます。「自己の拡張」・・・現代に生きる我々もこのような広い視野と公益性を重視した価値観をもって生活していきたいものです。未来の子どもたちに幸多かれ!世界中の人々に平和が訪れますように!
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