日本には昔から”恥”の文化がありますが、現代は薄れて来たような気がします・・・。
いけませんね(ノ_<)
女子修身 巻一 昭和4年発行 9年改定
第十九課 『恥を知れ』
恥を知る心
私達は自分のしたことについて、これは良くなかった、あれはあゝすべきだあったと後悔し、如何にも面目ないと感ずることがしばしばある。これは人が自然に持っている感じでこれを恥を知る心という。人にこの心がなかったなら、鳥獣と変わるところがない。この心の強いものは即ち良心の働きの鋭い人であって、絶えず自分の足りない点を補い、悪いところを改めるように努めるから益々人としての本当の道に深く進み入ることが出来るのである。これに反して、この働きの鈍い人は恥を恥とも思わず平気で悪い事をするから、次第に人として値打ちを失い、終には社会に立つことが出来なくなる。だから恥を知る心は徳に入る門であるという事が出来る。
恥知らずの人
恥を恥とも思わない人を恥知らずの人と言う。このような人の良心は麻痺していて良し悪しの区別が付かないのである。したがってどれほど悪い事をしても平気である。世の中で一番恐ろしいのはこのような人々である。ただその身を滅ぼすばかりでなく、社会に及ぼす禍いはどれほど大きいか分からない。このような人が多ければ多いほど、社会は益々乱れて行く。近頃社会に不正な事件が多いが、これはこの恥知らずの人の増した事を物語っているものではなかろうか。
また、世には自分では悪いと知りながらも、それが人に知れないとか法律に触れないとかいう場合には、一向に改めようとしないものもある。これが「免れて恥なき人」と言うのであって、やはり良心の麻痺したものである。我が国の古武士が廉恥心に鋭く、刀の手前、武士の面目といって行いを慎み、もしそれを汚したら、生きて再び人に見まえなかった気概と比べて、如何にも賤しむべきであろう。
恥を知れ
人から思いがけない間違った非難や侮辱を受けた場合、何となく恥ずかしく思う事がある。このような時にどこかに自分に足らぬところがあろうと省みて、深く自ら警めるのは良いがみだりに人の非難に恥じるのはまた真に恥を知るとは言われない。人の知ると知らないとに拘らず、自分の悪いところを自ら責める人が真に恥を知る人である。だから私達の努めるべきは、みだりに人の言に動かされず、自分の良心に省みて真に恥ずべき事と恥じなくてもよい事との区別を明らかにする事である。
恥と本分
学校の生徒として恥ずべき事は何であろうか。生徒には生徒としての本分がある。この本分を尽くし得ないのが私達にとって何より恥である。徳を修め智を磨き体を鍛える事以外に気を使うのは誡しむべき事である。
恥と改過
恥を知るのは大切な事であるが、自分の足りないところや過ちを恥じ過ぎて、それを改め正す力を失い、やけになることは最も慎まねばならぬ。誰しも過ちはあるものである。だから過ちのあるのを恥とするよりも、これを改めることの出来ないのを恥とすべきである。同じ過ちを再びせず、日に日に善に還るのが私達の修養の本旨である。
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