郵便ポスト目線で語られる、大正時代の人々の様子。ユーモアを感じます(o^^o)
巻五は小学三年生前半の教科書です。
尋常小学国語読本 巻五
22 『郵便函』
私は町の辻に立っている郵便函であります。雨が降っても、風が吹いても、夜でも、昼でも、此処に立ち通しに立っていますが、葉書や封書などを入れる人の外は、私のからだに触る者がありません。時々道を人に聞いて来たものと見えて、「うん、郵便函と言ったのはこれだな。」とひとりごとを言って行く者があります。
私の役目は、ご承知の通り、皆様が私の口へお入れになる郵便物を大切にあづかっていて、これを集めに来る人に渡すのであります。いかな日でも葉書の百枚や封書の三十通ぐらいは、私の口に入らないことはありません。毎日必ず新聞を入れに来る方も四、五人はあります。たまには雑誌や写真が入ることもあります。作物の種や商品の見本も入れて良いことになっていますが、私はまだそれをあづかったことはありません。
私の口に入る物は、はがきの外はきっと切手がはってあります。それは品と目方によって切手の価が違います。
郵便物を集める人は、毎日決まった時刻に来て、私のおなかを開けて持って行きます。その集めに来る頃に、急ぎの封書を入れに来る者が、途中で人と立ち話でもはじめると、私は気がもめてたまりません。もし間に合わないと、向こうへ大そう遅れて着くからです。
葉書には、大ていちょっとした用事が書いてありますが、封書には、いろいろ込み入った事が書いてあります。おめでたい事や楽しそうな事が書いてありますと、私もうれしいと思いますが、悲しい事や苦しそうな事が書いてありますと、もらい泣きをいたします。いつか大そう雨の降る晩に、年取ったおじいさんが、遠方に居る息子の所へ出した封書や、脚気で足を腫らしている書生さんが、お友達へ出した葉書には、私もはらわたがちぎれるように思いました。
「それにはどんな事が書いてあったか。」と言うお尋ねが出るかも知れませんが、それは人に漏らしてはならないことになっています。
コメント